てばなせてたことを知った

シンガーソングライターで

てばなしコミュニケーター®️の

小河畑まむちん千鶴子です。

 

昨日受けた

『アンガーマネジメント講座』について。

 

チョット重い話になるので、しんどいひとは読み飛ばしてくださいね。

 

私は物心ついたときから、躾(しつけ)という名目で、折にふれ母から打たれていた時期がありました。

 

食事中肘をついているのを見つかってはビンタ。

 

正座を崩しているのを見つかったらビンタ。

 

来客が帰ったあと

「あの口のききかたはなんなの?」

と言ってはビンタ。

 

ある時からゲンコツ👊にバージョンアップ⤴️

 

そんな目に遭うのは自分が悪いことをしたからだと思っていたし、よその家も同じだと思い込んでました。

 

が、

 

あるときそうじゃないと知りました。

殴られずに育てて貰ってる子もいるんだ…。

 

母を憎く思ったり、父の仕事が上手くいかず、お酒ばかり呑んで逃げてしまう夫への苛立ちを私にぶつけていたのか?とも思ったり。

 

25歳のとき、何かと人生ままならぬことばかりの毎日に疲弊した私は、全てを母のセイにしたくて、これまで思っていたことを母にぶちまけてしまいました。

 

「なんでアタシを殴って躾けたの?」

 

母はこうこたえました。

 

「そうするもんだと思ってたから。ごめんね」

 

あ…

そーなの?

 

なんか腑に落ちました。

 

躾と称して殴る以外の母は、私に対して過干渉気味でしたし、なんかあるとチューしてきたり、ハグしてきたり、凄くベタついた(笑)愛情表現をする人だったから…。

 

なーんだ!

この人も仲間やったんや。

 

知らんかっただけかぁ…。

 

ていうか、気づいた時点でソッチから謝ってよ(笑)

 

コッチが訊くまで知らん顔してからに(笑)

 

と思いましたが、そのときすでに25歳…オトナモードだったこともあり、私はアッサリ母を許しました。

 

5年後、父が他界し、旦那ちんとアル時を経て再会したのです←13年ぶりに

 

再会して半年経ち結婚する感じがふたりの間に漂ったとき、私は旦那ちんに自分が被虐待者でオマケに被性的虐待者(コレはまた別の機会に話します)であることを打ち明け、こどもは好きだけど産みたくない。

 

それでもいいなら結婚する←上からw

と伝えたのです。

 

それを受け入れてくれたおかげで私は人妻デビューを果たしたのです^_^

 

その後、友だちや関わるひとたちのお子さんと接するたびに私の中のモヤモヤが顔を覗かせました。

 

不安なキモチはずっとココロの片隅に残ったままだったのです。

 

正しい躾てナニ?

私が受けることができなかった本来の躾てナニ?

 

それを知らずに人様のこどもと接する機会が来たら、私はどう振る舞えばいいの?

 

解決してくれそうなことを書いている本を読んだり、人に会いに行ったりしました。

 

が、今ひとつスッキリしない。

 

そんな状態から私を解放、開放するキッカケをくれたのが

f:id:momchin:20181126090353j:image

2冊の本でした。

 

めちゃ長くなったので…

 

つづく。